----- Original Message -----
From: "Junji Hattori" <jhattori@st.rim.or.jp>
To: "メイリング キャンサートーク" <cancer@iijnet.or.jp>
Sent: Sunday, September 02, 2001 4:22 PM
Subject: [cancer 13606] 化学療法継続かホスピスか?

 

妻@非ホジキンリンパ腫 4期のものです。
現在、妻は個人輸入したリツキサン(リタキシマブ)という
モノクローナル抗体を使った、化学療法の治療をしています。
 今後の治療のあり方、もしくは、妻の望むようなホスピスを
選択したほうがいいのか、ご相談させてください。
※下記には、余命推定情報なども含みます。

 去年12月からCHOP8クールを行い、多重がんで、子宮ガン2期で
あることが判明し、すぐ、子宮全摘出手術を行いましたが、すでに
手術前にリンパ腫が再発していることが、症状からわかっていました。
(手術前から胸の痛さを訴えていましたが、神経への浸潤だろう、との
ことでしたが、実際は、胸水がたまっていたことが、手術後、わかりましたから)
 その後、すぐにESHAP3クール、CHASEと化学療法ではできうる限りの
強い治療を行ってきました。
 でも、胸やおなかのリンパの塊は小さくならず、
ますます胸水がたまり、心不全で呼吸停止の恐れもあるため、
3週間前、リツキサン治療を始める前日、
肺がん最終治療と同じく、胸膜を癒着させるため、
直径、1cmほどのパイプを緊急にベッド上のオペで肋骨の間から、さしこみ
2日かけて、5リットルぬき、その後、ニカワ?を注入し、これ以上、
胸水がたまらないように処置しました。
 妻としては、そのときの痛さが忘れられず、2度とあーいう
痛さは経験したくなく、死んだ方がよかったとこぼしていました。
 こんなことして、その後の生活に問題ないのか、担当医に聞いたのですが、
そんな悠長なことを言ってる状態ではなかった、と怒られました。
 また、おっしゃっていたことには、こういう状態になったら、
数週間後に危険な状態に陥る、ともおっしゃっていました。
(どういう危険な状態かは聞けませんでしたが、
 一般的には、どういう危険な状態になるのでしょうか?)
また、女房は自宅で最後を迎えたい、との希望でしたが、
このようなリンパ腫の場合、ほとんど、呼吸困難におちいり、非常に苦しんで
自宅で最後を迎えるから、病院で最後を迎えたほうが、患者には
楽ですよ、とアドバイスされました。

 また、リツキサン2クール後、(3週間後)CTをとりましたが、
先生からも効果はなかった、だが、あと規定の2クール
やってから、判定してはどうか、とのお話がありました。
ただ、だんだん、トイレにいくのもつらくなってきており、
脈拍も安静時120〜130がまた続きはじめ、以前の息苦しさが戻ってきました。
また、抗がん剤の副作用としての、手足のさきのしびれ感もひどくなり、
明日の月曜日からの治療は、いちおうストップしたものの、
これ以上、効いていない抗がん剤治療は嫌だ、と言って、私を困らせます。
(リツキサンの効果は規定の4クールやらないと、まだ、結論を出すのは
 はやいと、私はなぐさめています。また、先生もそれが標準治療なので、
 中途半端にオンコビンなどのしびれ感だけをおこさせる薬だけを止める、というのなら、
 もう、やらないほうがいいかもしれない、とのことでした。)
 患者の夫としては、希望がある限りは、治療をすすめたいのですが、
妻が拒否するなら、希望するホスピスでの生活しかありません。
 私としては、最低、4クール、今のリツキサンと弱い(半分の量)CHOP
(正式にはVEPAーM)治療を組み合わせた治療をつづけさせたいと考えています。
ただ、日々、そのシビレ感や息苦しさに苦しみ、弱っていく妻をみるにつけ、
どう説得してよいかわかりません。
 あとリツキサン4クール終了まで2週間ぐらいですので、少し、無理してでも
この抗がん剤治療を強行したほうがいいのでしょうか?
それともホスピス(いちおう聖路加病院に電話したら、医者の紹介状があれば、
ホスピス病棟も可能とのことでした)を、考え、代替療法などを個人的に
考えたほうがいいのでしょうか?

ーーーーーーーーーーーーーーーーー
 なお、今から考えて、去年の12月のCHOPの治療のとき、CHOP-Rでやれれば、
もっと寛解率は上がったかも、と悔やんでいます。
(ただ、担当医の話では、10%その率があがるだけです、と
 おっしゃっていましたが、逆に、その10%上がるというのは、
 非常に薬としては、効果が大きいことです、ともおっしゃていました)

 また、リツキサンの宣伝も残酷なことを教えているな、と感じました。
不治の病に延命効果がある、というような表現だったと思いました。
もちろん、妻も患者どうしで話を聞いたりして、そういう病気だと、覚悟している
ようですが、患者の家族から見て、そう感じました。
 その意味では、K大みたいに、最初から、骨髄移植やミニ移植をターゲットにおいた
治療がのぞましいのかもしれません。妻は、そんな治療はまっぴら、ということでしたが、
それが、本当の治療に近い気がしています。今は、T医大では、自己幹細胞移植が
主流で、まわりがどんどんチャレンジしているし、その人から話を聞いて、
ほんの少し、本人にもやる気がでてくるような気がしているのですが。

 

----- Original Message -----
From: "Junji Hattori" <jhattori@st.rim.or.jp>
Sent: Tuesday, September 25, 2001 12:47 AM
Subject: [cancer-net] 終末期医療をナビゲートするホームページ

 

個人のボランティアで「がんナビゲーション市民ネットワーク」という
ホームページを作成、運営しております、服部です。
http://nvc.halsnet.com/jhattori/cancer-navi/

 先週まで、妻も西洋医学の新しい抗がん剤治療を行いましたが
担当医から効果なし(NoEffect)との判定が下されました。
 その話が出ることは予想していましたので、
私は末期がん患者を診てくれる、東京の大塚にある、
一心病院、川島先生(産婦人科)の所を一人で訪れ、
http://www.yobou.com/tokusyuindex/tokusyu_14_002/
代替療法で効果的な療法を相談しましたが、
当時、妻が望んでいたような、「ホスピスをすぐ探されては
どうですか?」と言われ、不覚ながら泣き崩れてしまいました。
(本当は自分としても、効果的な方法はないことがわかっていましたから。
 実は、その前にも代替療法を行っているところを直接訪問し、調べていて
 「それで治ったりすることはないのはわかっているんだけれど、
  もっとうまく患者やその家族を騙せないのかな」という
 変な心理に陥っていたものですから、本当の妻の心を先生から
 「これからは奥さんを治療の苦しみから解放されてはいかがですか?」
 と言われ、妻にいろんな治療を押し付けていた自分が
 わかったのでした。)

 ただ、その後、一応、ホスピスを選び、予約したものの、
実際に入所には時間がかかり、また妻の本当の気持ちとしては、
在宅での最後を望んでいることがわかり
現在、そのような生活を始めて1週間になるところです。
 (そのために休職中です)
 そんなとき、ここ二日間で、生活の合間に作ったのが、
終末期医療ナビゲーション市民ネットワークです。
http://nvc.halsnet.com/jhattori/termcare-navi/

 なおホスピスに関しては、国立療養所東京病院の緩和病棟の婦長さんが
インタビューに応じてくださり、HPに公開することも承諾され、
ホスピス病棟の所内を案内してくれましたので、
興味のある方は、インターネットTVでご覧ください。

 

rom: "Junji Hattori" <jhattori@st.rim.or.jp>

Sent: Saturday, October 06, 2001 10:25 PM
Subject: [cancer-navi] 在宅看護をやり抜いて

 

終末期医療ナビゲーション市民ネットワークの服部です。
http://nvc.halsnet.com/jhattori/termcare-navi/

 10月6日、早朝、AM4:06、自宅で家族らだけに看取られながら、
妻は眠るように亡くなりました。
 呼吸をしなくなり、脈がなくなったのを、娘の未来、妻の妹、
そして最後に、私が確認いたしました。
 妻の希望しておりました在宅看護を、途中、私や家族のへたな看護のやり方に
妻が不満をもらすこともあり、ホスピスへの入院も匂わせましたが、
すこしずつ私たちもやり方を学びつつ、
また、医療的には定期的な在宅看護を行ってくれる訪問看護専門病院と、
緊急の往診に応じてくれる個人病院をうまく連携して利用することで、
なんとか、やり遂げることができました。

 ただ現在の訪問看護の問題は、緊急な場合での対応に問題があり、
24時間以内の緊急訪問でなく、1,2時間以内の緊急対応などの
レベル分けが望まれます。
(もちろん特急に応じて、料金は高くなる設定が必要)

 なお在宅看護により、妻が嫌がっていた、尿管への管入れや
さらなる抗がん剤治療の回避、
家族が手助けして、なるべく自力でのトイレなど、
患者の本来の希望をかなり強く主張し、実行することができました。
 もちろん妻にとって、生活を通しての家族との接触や
いつもの日常生活ができることが、一番、うれしかったようです。
 ただ、悔やまれることは、高校修学旅行中の息子に、
病状の悪化を伝えることを拒み、
「息子が戻ってくるまで、がんばって生き続ける」、と本人が言いながら、
結局、戻る、その日の早朝になくなってしまったことでした。

 

----- Original Message -----
From: "Junji Hattori" <jhattori@st.rim.or.jp>
Sent: Thursday, October 18, 2001 12:29 AM
Subject: [cancer-navi] 亡くなった妻のバーチャルなお墓

 

終末期医療ネットワークのHP,MLを作成しました、服部です。
http://nvc.halsnet.com/jhattori/termcare-navi/

 妻は先日、他界し、10日あまり過ぎ、少し落ち着きましたので、
バーチャルなお墓として、家族のメモリアルサイトを作成しました。
http://nvc.halsnet.com/jhattori/memorial/
(まだ実際のお墓がないもので、私的なサイトを作ってしまいました(^_^;))

 なお、在宅看護ができたのも、がんというある程度、
余命がわかっている病気だから、できたのかも知れません。
1年以上で、いつまで食事や下の世話が続くのかわからない
病気の介護の場合は、多分、途中で絶望的になっていたでしょう。
また、私のおふくろなどと交替で看たり、いっしょに世話したり、
家族もいろいろ協力してくれましたが、それらがなければ、
この1ヶ月でも、やはり途中でばててしまっていたでしょう。
その意味では妻の場合は恵まれた環境だったといえるかもしれません。
 亡くなる3日前までかろうじて、声を出してはいましたが、
私に対しての言葉は聞き取れず、「はな...」とか、
何とか言ってたのを、何度も繰り返し、確認し、尋ねても、
首を振るばかりで、私はとうとう聞くのをあきらめてしまいました。
ただ、娘に対しての言葉は、当の娘はわかったらしく、
血のつながりの違いを思い知りました。
(単に「クラブはあるの?」、「はやく帰ってきてね!」と言ってたらしい)
 そして、亡くなる2日前、私のおふくろが真夜中、
1人でおむつ交換をやっていたとき、もの言えぬ妻が
そっと手を合わせた、と聞いて、在宅看護をやってよかった、
思いました。
 そして、亡くなる1日前、朝、7:00頃、往診してくれた
お医者さんには何も反応がなく、私が声をかけても、
同じ状態だったので、「昏睡状態に陥っています」と言われました。
ところが、中二の娘が、「おかあさん、これから学校に行ってくるからね!」と
声をかけると、ポロリと大粒の涙をこぼしたので、
娘は、急いで、スプーンで水を口元へもっていくと、
舌で、その水をなめたのでした。
ここでも、血のつながりの固さ、というか、娘などへの想いの強さを
実感したしだいです。
 ただ、それが最後の反応で、土曜日、昼はやくに娘が帰ってきて、
「おかあさん、ただいま!」と言っても、とうとう何も答えてくれなくなりました。
 それからは、交替で、ずーと、息遣いを確認していましたが、
夜中、2時頃からヒックヒックという変な息遣いになったので、
みんなを呼びました。
そして、娘や義理の妹が脈を看続けたのです。
弱々しい息遣いになり、最後の方では、口だけの動きで
息をしていることがわかるぐらいで、それもなくなったのを看て、
娘も脈がわからない、と言い出したので、私も確認しましたが、
やはり、脈はありませんでした。
息子が沖縄の修学旅行から帰ってくる日の、
早朝AM4:06を177の電話は伝えていました。
そして、その日、AM7:00に修学旅行中の先生に母親がなくなったのを伝え、
息子には夕方5時頃羽田に着くまで知らさないように、
それが母親の遺言だから、と念を押してお願いしたのでした。
実は亡くなる4日前に、医者からは、身内の人たちを呼んだほうがいい、
とアドバイスされたのですが、亡くなる2日前、物言えぬ妻に確認したところ、
修学旅行中の息子は呼び戻さなくていい、と、うなづいたのでした。
それを聞き、私は大泣きに泣いてしまい、何度も何度も、
「本当にそれでいいんだね。帰ってくるまで、生きてがんばるんだね」と
聞き返しましたが、ただ、うなづくだけでした。
 さて、葬式も済ませ、関連の事務手続きが一段落ついた、
ある早朝、私のベッドのところに、妻が妙な紺色の体操服のようなものを着て、
にこにこしながら私の手を握ったのでした。
その感触が妙に生々しくて、「骨になったはずなのに、なんだ、
まだ生きていたのか、それだったら、こちらの世界に戻ってきなさい」と
思いっきり引っ張ったのでした。
そして、がばっと起き上がり、つかんだ自分の手を見ると、
何も握ってなかったのでした。
あー、なんだ夢だったのか、と、また、寝て、その日は、
妻が入院していた病院に出かけ、そこでの友達や看護婦さんに
妻のことを話したのでした。
そして、家に戻ると、おかあさんが、「初七日なのに、線香もあげずに出かけた」と
私をなじったのでしたが、その夢の話をすると、
あー、やっぱり、と妙に納得がいった顔をし、また、にこにこしていた、
ということにも満足したようでした。
ただ、私が「人間って、7日ぐらい経って、落ち着くと、夢で思い出すんでしょうね。」
と言うと、鼻白んだようで、「そんなときは、線香の一本でいいから、
すぐあげるもんだよ」と言われてしまいました。
 とにかく私としては、在宅看護をやり切ったという、満足感がありました。

 なお、妻はMSコンチン(いわゆるモルヒネ)を飲むようになって、
最初のころ、 明かりを消すと、よく、妄想を見るようで、
急にぶつぶつ言って、 私を驚かすことがありました。
そんなとき、作ったのが

 暗闇は白いキャンバス 原色の夢かく妻の つぶやきにドキッ
 

ホーム