妻の病気のことを書いておきます。
妻の母自身も乳がんを30歳ごろに患いましたが、初期の段階で、国立がんセンターで手術し、現在は健康です。ただ母方の姉妹では、5人のうち、3人がすでに乳がんで死亡。また、母方の父の親戚では、30代で白血病で死亡した人が1人
います。このことより、普通の
人より、遺伝的にがんになりやすい傾向があったと思われます。
なお、妻自身は2000年11月末、肺がんの疑いで東京医大に入院しましたが、結局、悪性リンパ腫で4期で
あることが、入院から3週間してやっとわかったしだいです。
(入院したばかりのときは、肺がんで、余命1ヶ月と言われ、抗がん剤治療をしてもさらに1ヶ月延命できるぐらい、と言われてしまい、退院して、自宅で最後を送ろうかと、妻と相談していました。ただ、先生から、もうちょっと精密な検査をしませんか、と勧められたので、検査入院を続けたのでした。)
実は、その2年ほど前から、ふらつきや寝汗をかき疲れやすい、などの症状を妻は訴えていたので、最初は、近所の耳鼻科や歯医者にかかりましたが、なんともない、と言われ、こんどは荻窪総合病院で胸や首のCTをとりましたが、問題ないといわれました。東京医大でも脳のMRIをとって、診断してもらいましたが、不定愁訴という精神神経病だと、教授から言われ、女房はそんなんじゃない、と怒ったものです。また荻窪病院での首のCTなどをもって、順天堂医大にも行きましたが、そこでは首の骨がまっすくだから、そういう症状がおきている、と結論づけられ、その後、首の矯正のため、整形外科や接骨医に通ったのでした。ただ、ふらつきは直らず、首の矯正にも通わなくなり、いつも弱い精神安定剤を飲み続けていたのでした。また、丹羽クリニックという整体の病院に通って、体のゆがみを整えてもらったり、中国気功で、ますます、ふらつきがひどくなったりしたこともありました。ところが、2000年の9月頃から、風邪の症状や腕のむくみがでてきて、最初は、接骨医でマッサージをしてもらいました。それでもあまりよくならず、近所の内科医で血液検査をしたところ、ヘモグロビンが異常に少ないというので、そのヘモグロビンを上げる注射をしに1ヶ月近く通っていました。そのうち、背中が異常に痛み、声も枯れはじめたので、私も強く、先生に「原因を突き止めてください」と訴えました。そして胸のX線をとったところ、左の肺が真っ白で、手のつけようがない、というので、先生も困ったらしく、「好きな大学病院の紹介状を書きますから、すぐ、行ってください」と言われました。(単に対症療法ばかりで、本当の原因を調べなかったのもまずかったよなー、と後悔しています。多分、先生も。)ここから学ぶべきは、ちゃんとしたホームドクターを
探しておいて、しっかりその先生の判断に従って行動すべきだった、と思いました。変に素人判断で整体などに行かず、首の骨の問題でもなかったら、もう一度、ホームドクタに戻って、相談するのがよかったのでしょう。(ここらへんでは、慶山クリニックがいいホームドクタだな、と思いました。ちょっと大げさに考えるところはあるようですが、それぐらいのほうが安心ですよ(^_^;))また、妻は会社での半日人間ドッグを嫌がり、結局、い
っしょに行くことはありませんでした。今から思えば、定期的に会社の健康診断を受けていれば、そこからいい病院を紹介してもらい、
もっと早い段階で見つかったのでは、とも思いました。
さてリンパ腫とわかった2000年12月から抗がん剤治療のCHOPを8クールを行いました。そのうち。多重がんで、子宮体ガン2a期で
あることも判明し、2001年3月、子宮全摘出手術を行いました。ただ、手術の前から背中の痛みがひどくなり、内科の主治医だった先生にも訴えましたが、触診もせずに、以前のCTを見て、リンパ腫が原因と
は考えられない、と言われ、「手術が終わったら、神経内科か整形外科、どちらに行きたいですか?」と聞かれてしまい、私としても、素人なので判断できなかったのですが、背中
で骨だから、整形外科かな、と思い、そちらに、行くことになりました。(現代の医者のありがちな問題は、触診もしないで、同じような症状を訴えたら、ただ、以前のデータを見るだけなのでした。その後、2回、内科で見てもらいましたが、内科ではわからない、の一点ばりで
、歯がゆくて仕方なかったのでした)。ただ、背中の痛みが日増しにひどくなるので、がまんできず、整形外科にはやめにかかり、骨のシンチをとってもらいましたが、
結局は問題ない、とのことで、すぐ、その日に、別の内科の先生に診てもらったのでした。すると、その先生はちゃんと触診してくれて、おかしいというのでX線をとったら、また、以前と同じく、左の肺がまっしろになっていたのでした。
やはり 手術前にリンパ腫が再発していたのでした。(CHOP8クール終わった段階でも、いたるところリンパ腫のあることが、CTでわかっており、完寛と言われましたが、実はあれはリンパ腫の残骸の殻ではなかったのでした。ただ、血液データからは問題はありませんでした。今でも、なぜ、あのとき、担当医は、3度も妻を診ておいて、再発としての背中の痛みと思わなかったのか、不思議でなりません。もちろん、再入院したときは、別の内科医の担当に変えてもらいました。)
その後、すぐにESHAP3クール、CHASEと化学療法ではできうる限りの 強い治療を行ってきました。でも、胸やおなかのリンパの塊は小さくならず、 ますます胸水がたまり、心不全で呼吸停止の恐れもありました。そのため、 リツキサン治療を始める前日、胸水を抜いた後、
肺がん最終治療と同じく、胸膜を癒着させる手術をベッドの上で行いました。個人輸入した最後の希望であった、リツキサン治療2クール後、(3週間後)CTをとりましたが、 先生からは「効果はなかった、だが、あと規定の2クールやってから、判定してはどうか」とのお話がありましたので、先生の仰るとおり、4クール行いました。
でも、結局、リツキサンの効果もなく、余命1ヶ月を宣言されたので、自宅で最後を迎えることにして、9月20日東京医大を退院しました。
(その前から、ホスピスか自宅に戻りたい、と妻は言ってましたが、私は、何とか、奇跡でも起きて、このリツキサンが効果を表わさすのでは、と無理やり続けさせたのですが...)
その後、在宅で生活しながら、10月6日 AM4:06、家族に見守られながら、眠るように亡くなりました。息子は、そんな母親の状態も知らされず、高校の修学旅行、最後の日を、はるか南の沖縄で過ごしてから帰宅する、そんな予定の日でした。行年46歳(享年:生命を得た年=満年齢+お腹にいた10ヶ月と10日を足した年で47歳)、秋も深まった、まだ、日もささない、夜明け前のできごとでした。
どこかでカラスが大きく鳴いたような気がしました。