2010/07/10

 

 
人の方がこのページを訪れました

妻のメモリアルサイトへお寄り下さいまして、ありがとうございます。

ここでは、2001年10月6日AM4:06に亡くなった妻、美智子の思い出をまとめ、妻のメモリアルサイト(いわゆる インターネット上のお墓 )といたしました。「病気のこと」のコーナーでは、妻の病気に関して、私なりに反省することをいくつか上げてみました。
病院にかかるときの参考などになればと思います。
 このサイトを作ることの意義としては、1つは妻の「いつまでも私のことを覚えていてね」という想いを実現できたこと。2つめは、このサイトをごらんになった方に今後の健康管理などで、少しでもお役に立てればという私の想いが実現できたことです。 (この詳細は 妻のメモリアルサイトに関しての雑誌紹介記事1ペー ジ目 記事2ページ目

みなさまのご健康を祈念いたします。

 なお余談ですが、「千と千尋の神隠し 主題歌 - いつも何度でも」の曲を聴くたびに病院で闘病生活をしていた頃を思い出し、人の命のはかなさ、などが心にしみいってきて、つい涙がでてきます。(スピリチャリズムの真実) ちょうど9.11事件がおこった頃(9.11の真実)、病院の化学療法にも希望を見出せず、病室のカーテンを閉じたままで、しきりに「もう家に帰りたい」と訴えはじめた、葛藤の日々を思い出すのです。


私が病気の関連で作成したHP
(ここをクリック)

「妻に先立たれた夫たち(3)」のビデオ(写真部クリック)
フジテレビスーパーニュースでの放送の一部より :約5分間)

妻の映っている 少ないビデオ映像を集めて一本にまとめてみました
( ほとんど子供をとったものが主でしたから(^_^;):15分ぐらいで、撮影年は順不同です)

妻のフォト アルバム

妻が亡くなるまで(私のメール集)

 入学式にて

 厚木市立病院にて

 

亡くなって3年目の墓前への報告: 2004年10月6日
 おまえが亡くなってから、もう3年。子供たちも大きくなったよ。
息子はおまえの亡くなる前に約束してたとおり、希望の大学にはいって
先生になるのを目指して勉強しているし、娘も中学のとき代表に選ばれて、
オーストラリアの高校に海外派遣されたよ。
その娘も高校2年。でも最近あまり口をきいてくれなくなって
ちょっとさびしい。おまえみたいに技術を身につけて一人でも生きていかれる
ようにと思っているのだけど。
 あー、そうそう、おまえが亡くなる前「お父さんのこともよろしくね」って言ってたけど、
そのおじいちゃんもおまえのあと、1年ぐらいして亡くなった。
おまえが言ってたように毎週お父さんの病院に通ったよ。
(おまえが入院するまでは毎週いっしょに通ってたよね)
 ふー、ぼくも最近、老眼鏡が手放せなくなってね。
つくづくもう年なんだなって思う。
 今日も電車でまわりを見てたら、目を細めて遠くを見てる人がいて、
あっ、同じ団塊の世代だ、って仲間を見つけ、妙にホッとしたりして...
 あー、今の僕の夢は子供が独立したら、気ままにNGOの活動したり
海外にロングステイすることだ。でも「また、そんなお金にならないことを!」って
怒られそうだけどね (^_^;)

多難な年があけて (^_^;): 2006年1月1日
 ホント去年は大変だったよ。(^_^;) 心筋梗塞でカテーテル手術したりしたからね。
会社も一部上場のIT企業に買収されるとの発表があり、今年もいろいろありそうだよ。(^_^;)
このごろ、もの忘れがひどくなってきてねー、川島先生の本の脳を鍛えるシリーズで
自分自身の再生に備えているところだよ。(^_^;)
 そう、娘は去年AO入試で美大に受かって映像演劇学科に行くことになった。
海外派遣に選ばれたときもそうだったけど、あーいう面接やパフォーマンスには
誰に似たのか、めっぽう強いようだね。(^_^;) 
 息子は当初の目的の社会の先生では生活できそうでないとのことで、(^_^;)
英文学専修にすすみ、塾のバイトをしながら英語の先生をめざしているよ。

美智子の生まれたころ、川村学園、杏林大学病院に勤めていた頃、そして家族旅行 などのフォト アルバムです。

最終更新日 : 2010/07/10

作成日 2001/10/17 カウンタ  2005・03・21より