なぜ浅野さんか:望ましい人より石原に勝てる候補者を選ぶ (^_^;

 あるメーリングリストに流れていた秀逸なメールをいくつかご紹介します。

これを読むと、なぜ浅野さんなのか、論理的に理解できます。(^_^;

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私も「都知事選について」一言
私は現時点は都民ではありませんが、間もなく都民になるので一言意見を述べます。

候補となっている4者のそれぞれの人についてそれほど知っているわけではあり
ませんが、石原だけは駄目ということでは共感しています。
さて、これは選挙ですから「反石原」として誰が知事として望ましいのかと、誰なら
ば当選可能なのかは分けて考えるべきでしょう。

私も候補者を良く知らないながらも、恐らく4者の中では「吉田氏」が最も知事
として望ましい候補であろうということぐらいは洞察出来ます。
しかし、吉田氏は当選可能でしょうか。恐らく無理でしょう。私のように選挙に疎い
人間でも吉田氏が「石原」に対抗して当選するなどあり得ないと推察すること
くらいは出来ます。

浅野氏は当選可能でしょうか。これも難しいとは思いますが、吉田氏よりは確率は
遙かに高いといえます。では、確率が高いとしても「憲法」に対して曖昧な人間を
擁立することは誤りでしょうか。
私も「現憲法」だけは絶対に守るべきだと考えている一人ですが、「憲法」について
曖昧な浅野氏を推薦することが誤りとは考えません。

理由は、「憲法」問題は地方の知事の専権事項ではありませんから、石原知事
が「憲法」について何を言おうと、せいぜい彼の信奉者に影響を与える程度の
ものに過ぎません。
浅野氏が仮に憲法についてなにがしかのことを言ったとしても同様です。
従って、知事を選ぶ基準の第1に「憲法問題」を持ってくるのは筋違いだと思いま
す。
知事選と国政選挙は同一基準で見るべきではありませんから、知事選に関して
何を優先事項とするかです。

それには、浅野氏を擁立しようとしている市民たちが選定した事柄である、都の
「教育」の場の現状を変えたい、さらに「福祉」切り捨てを是正したいという切なる
願いの方を優先的に考えます。これは地方自治の専権事項でもあるからです。
ご承知の通り、石原知事が教育に容喙し、彼の方針に従わない人たちを排除し、
処罰しています。これは看過しうる程度の生易しいものではありません。
この教育と福祉の問題の都の先例は、明らかに他の自治体に波及します。
浅野氏を擁立しようとしている市民たちが「教育」と「福祉」だけで選んだわけでは
なく、市民参加型、情報公開など様々な項目上げられるでしょうが、これが重点
事項となっていることは間違いないといっていいでしょうから、ここでは他の問題
には触れません。
私は少なくともこの2点だけでも替えられる人間であれば、その人を「知事候補」
として推薦し擁立ことは誤りではないと考えています。
浅野氏を擁立しようとしている市民も、彼が最善の候補だと考えているわけでは
なく、私もそうは思いません。にもかかわらず彼を推薦するのは、石原都政の
現状が耐え難い状況下にあるからです。

政治選択は学問の探求ではありませんから、「真理や真実」を求めるのは適切
とはいえません。
いまは、政治的主張の「原理・原則」に拘るのではなく、どうすれば知事の権力を
恣にしているタカ派の「石原」を知事の座から降ろすことが出来るのかに専念する
ことであり、そのためには現実に即した優先事項を設定して妥協点を見い出し、
当選可能な人間を選定して運動に専心すべき時期でしょう。

なにより、再度浅野氏を選択した市民たちの切実な要望に耳を傾けることが重要
だと考えます。
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おまけにもう一通、勝手連応援メールの紹介

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皆様、熱い議論ご苦労様です。
でも、残念ながら議論はずれています。
浅野「派」(議論参加者が誰を支持しているのか? という程度の意味です。そんな政治勢力があると言う意味ではありません)は「勝手連」のはずです。
これは重大なことです。これこそが正しい意味での「主権在民」の体現なのです。
片や古典的(時代遅れ)一枚岩政党。議論がかみ合うわけがありません。
片方が自分たちの意志で活動しようとしているのに、他方は党指令です。
あるいは「宗教は阿片」の公明党員の動きと、上意下達の共産党員の動き方は同じです。つまりは、共産党は党のために動くのであり、市民・都民のために動く気はまったくありません。こんなものに期待しょうという人の気が知れませんね。
一方は個々の信念で動く本来の意味での「手弁当」活動です。浅野氏が主人公なのではなく、浅野氏は只の御輿です。
この市民「勝手連」がこの選挙でどのように鍛えられるのか。その結果で浅野都政は実現するでしょうし、その勝手連が浅野都政を本当に主権者としてコントロールできるまで成長したとき、御輿の思想はどうでも良いものになります。
その都政を実現した「勝手連」都民の意志が都政に反映するはずです。
つまり、勝手連浅野選挙は市民が本当の意味での民主主義=都民主権を獲得する
ための最も正しい方法なのです。

本来、公務員も議員も首長も、市民が顎で使うものです。市民に奉仕するのが彼らの使命ですから。それが嫌なら公務員や議員になるな! 首長の権力は主権者の代行権でしかありません。
市民革命で獲得した民主主義と与えられた民主主義の本質的な違いはココです。
残念ながら日本の議会主義は貴族院から始まっていますので、市民より議員・首長の方が上位にあるように錯覚されています。議員「センセイ」と呼んで恥じないこの意識を逆転させることが<かくめい>です。別に革命はボルシェビキや日共スターリニズムの専売特許ではありませんから気遣いは不要です。


今都民はその現場にいます。がんばってください。反面教師のような反動(石原)の立ち上がりに対して、今都民がその権限剥奪=政権を奪取しようとしています。
ココが最も大事なところで、それは自民党・民主党は当然としながら、何より共産党や公明党が最も恐れるところです。彼らの思想の根元は衆愚思想で、「正しい」(カッコつき)指導のもとで、つまりは「教義」や「綱領」が人民・市民を主導するといった思想にとっては、最も忌み嫌われる動きなのです。だから敵対してきます。
共産党の発想では、浅野氏が宮城時代に何をしたか? ここに論議を収斂させることが意図された問題のすり替えなのです。
優れた個人(の考え方) 対 優れた党(の綱領) ならかみ合います。この土俵に乗せられてはいけません。どちらに支配される方
がシアワセだと思う? と問われてるだけです。もちろん支配されることにシアワセがあるはずはないからです。

浅野氏が何をしたか? どんな思想を持っているか? そんなものは御輿には不要です。浅野氏に求められるのは、最後まで御輿に徹する度量があるかどうか?
それだけです。
でなければ担ぐのは木偶のほうが良いのですから。
本当の問題は勝手連が選挙から都知事時代まで担ぎ続けることができるかどうか?
そこが焦点です。
勝手連は時に飽きやすく無責任になりがちですから。担いだからには最後まで担ぎ続けなければなりません。その覚悟だけは示してください。

後は、権力を手中にしたとき浅野氏に群がろうとする利権亡者は追い払うこと。
そして、日共以上に大衆操作に長けた電通的なものに惑わされないこと。
主権を掠め取られないように。
都政でそれが実現されたとき、日本中に伝搬して改(悪)憲論議も影を潜めるでしょう。自民党すら影を薄くするでしょう。だって、本当の主権在民が実現するんですから。

もう一度、浅野御輿の勝手連、がんばってね。


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以上、引用終わり