環境問題などを考えるきっかけ

  2006年1月29日(日) 服部 順治

 最近、あることから、なぜ、自分は10年前、あんなに環境問題やそれに関することを考え始め、日本に帰ってきてから、インターネットのHPなどで発信し始めたのかな、と思い返してみました。(^_^;)
オンブズマンネットワークを作るきっかけはこちらですが(^_^;)
http://www.st.rim.or.jp/~jhattori/profile/kikkake.htm

 それはロサンゼルスで働いていた1996年の春頃のことでした。きれいな流星(百武彗星)や星を見ようと、夕方、ロサンゼルス郊外のパロスバーデスの山々をドライブし、小高い丘のある山に行き着いたのでした。まだ、辺りはほんのり明るく、その丘の頂上の広い野原には、ティピー(インディアン[本当はネイティブアメリカンの呼称]のテント)がひとつポツンと建っていました。
 中を恐る恐る覗くと、インディアンがポツンと座っていて、何ごとかつぶやきながらも、私を招き入れてくれました。そのうち辺りが暗くなったので、外に出て流星やきれいな星を見ていると、女の子をつれた若いアメリカ人家族の人たちもそのティピーにはいっていきました。私はまた戻って、自己紹介をして、日本人でたまたまここを見つけた、と言うと、アメリカ人の男の人が「ここはインディアンの聖地なのだが、近々、朝鮮の人たちの墓場になる。私たちとしてはそうならないよう、運動している。また明日はインディアンの聖なる日で朝お祈りをささげるので、ここで一晩を過ごすんだ。」と言ってました。また、そのインディアンの弟が「ダンス・ウイズ・ウルブス」という映画に出ていた、とも言ってました。(私はその映画は見ていませんが、ネットで調べると、映画の中の「領土や富や自由を得るための人生では無い」と言う台詞が、この映画のテーマであるような気がしました)
 ただ、そこで、結局、私たちだけの力ではどうすることもできない時代の流れを感じ、そのインディアンの運命の悲しみやあきらめが心に伝わってきたのでした。

 それから日本に帰る直前、私はアメリカの友人に、アメリカのどこに旅したらいいか聞いたところ、ラスベガスからグランドキャニオンに行くのが一般的にはいいといわれているが、実際にはザイオンの方がよかった、と言うので、そこに旅することにしました。

 朝、ラスベガスから車を飛ばして、ザイオンの広大な自然の前にポツンと座って考えていたときでした。夜もアカアカとしている人口の街の極致のラスベガスと対照的に、この何万年もかかってできたであろう、自然を前にしていると、何か人類は、石油や石炭をこの地球から吸い上げ、消費してるなんて、なんてことをこの地球にやってるんだ、という、義憤にも似た感情がこみ上げてきたのでした。何か、その石油などの化石燃料って、私たちの体に例えたら必須の栄養か、もしかしたらホルモンみたいな微量な存在かもしれないけど、長期的に見たら、将来、地球の活動にとって必要な物質のような気がしたのです。ただ、それも、あきらめに似た感覚にとらえられたのでしたが、何かできないか、という思いに変わりはありませんでした。

 そうして日本に帰ってからその思いに突き動かされるかのように、私自身ができることを考えたのです。そこで、私はインターネットに関して知識がありましたから、グローバルな環境問題などの社会問題に対しては、住民の意見が地域や国の行政に反映していける仕組みをインターネットを通じて作っていくことができないか、と考え、行動しはじめたのでした。そして、今からよく考えれば、それが私の大きなモチベーションとなっていたのでした。

 ただ、諦め、というのにつながってしまうのは、所詮、このような環境破壊をくい止めるよう努力をしようとしたところで、結局、一人ひとりが理解し納得しなければ、最終的には止めることはできないのでは、という想いから出ているのでした。逆に言えば、人類が進化していく上での、ひとつの学びのステップの段階で、今は一度マイナス方向に落ちていって、ガツンと自然からのしっぺ返しを受けて、やっとみんな仕方なく、その方向に進まざるを得ないのかな、なんて思うのでした。
 そう、また人類や生命体の目的って何なんだろうなー、なんて考えると、単なる、今は、その過程にすぎない、という一種の虚無感にもとらわれるのでした。(そのわりには、反動で、以下のようなサイトも作ったりしていましたが(^_^;))

GOD開発プロジェクト設立準備連絡会(トンデモ話?(^_^;))
http://nvc.halsnet.com/jhattori/GOD/

 

 

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