オバマ大統領就任演説全文 asahi.com(朝日新聞より)
オバマ大統領就任演説 同時通訳版(1) 同時通訳版(2) ちょっと同時通訳ではいまいち、感じがつかみにくい (^_^;)
オバマ大統領就任演説 字幕版(1/3) 字幕版(2/3) 字幕版(3/3)
市民のみなさん。
きょう私は、私たちの前にある職務に謙虚な心を持ち、あなた方から与えられた信頼に感謝し、
先人が払ってきた犠牲に心を留めながら、ここに立っている。
ブッシュ大統領の我が国に対する貢献と、政権移行期に見せた寛大さと協力に感謝したい。
これで(私を含め)44人の米国人が大統領の宣誓をしたことになる。
宣誓は、繁栄の高まりや平和な時にも行われてきた。
だが、多くは、雲が集まり、嵐が吹き荒れる中で行われた。
そのような時を米国が耐え抜いてきたのは、指導者の技量や洞察力だけによってではなく、
「我ら合衆国の人民」が先人の理想に誠実で、(独立宣言など)建国の文書に忠実だったからだ。
これまではそうだった。そして、この世代の米国人もそうあらねばならない。
私たちが危機のさなかにあるということは、いまやよくわかっている。
我が国は暴力と憎悪の大規模なネットワークに対する戦争状態にある。
経済はひどく疲弊している。
それは一部の者の強欲と無責任の結果だが、私たちが全体として、困難な選択を行って新しい時代に備えることができなかった結果でもある。
家が失われ、雇用は減らされ、企業はつぶれた。
医療費は高すぎ、学校は、あまりに多くの人の期待を裏切っている。
(石油などを大量消費する)私たちのエネルギーの使用方法が敵を強大にし地球を脅かしていることが、日に日に明らかになっている。
これらは、データと統計で示される、危機の指標だ。
測定はより困難だが同様に深刻なのは、米全土に広がる自信の喪失だ。
それは、米国の衰退が不可避で、次の世代は目標を下げなければいけないという、つきまとう恐怖だ。
これらの難問は現実のものだ。深刻で数も多い。短期間で簡単には対処できない。しかし、アメリカよ、それは解決できる。
今日、私たちは恐怖より希望を、対立と不和より目的を共有することを選び、ここに集まった。
今日、私たちは、長らく我が国の政治の首を絞めてきた、狭量な不満や口約束、非難や古びた教義を終わらせると宣言する。
米国はなお若い国だ。
しかし、聖書の言葉を借りれば、子供じみたことはやめる時が来た。
不朽の魂を再確認し、よりよい歴史を選び、世代から世代へ受け継がれてきた貴い贈り物と気高い理念を前進させる時が来たのだ。
それは、すべての人は平等かつ自由で幸福を最大限に追求する機会に値するという、神から与えられた約束だ。
米国の偉大さを再確認する上で、私たちはその偉大さは所与のものではないと理解している。
それは、自ら獲得しなければならないものだ。私たちの旅に近道はなく、途中で妥協することは決してなかった。
仕事より娯楽を好み、富と名声の快楽だけを求めるような、小心者たちの道ではなかった。
むしろ、(米国の旅を担ってきたのは)リスクを恐れぬ者、実行する者、生産する者たちだ。
有名になった者もいたが、多くは、日々の労働の中で目立たない存在だった。
彼らが、長く険しい道を、繁栄と自由に向かって私たちを運んでくれたのだ。
私たちのために、彼らはわずかな財産を荷物にまとめ、新しい生活を求めて海を越えた。
私たちのために、彼らは汗を流して懸命に働き、西部を開拓した。むち打ちに耐え、硬い土を耕した。
私たちのために、彼らは(独立戦争の)コンコードや(南北戦争の)ゲティズバーグ、(第2次世界大戦の)ノルマンディーや(ベトナム戦争の)ケサンで戦い、命を落とした。
彼らは、私たちがより良い生活を送れるように、何度も何度も奮闘し、犠牲を払い、手がひび割れるまで働いた。
彼らは、米国を個人の野心の集まりより大きなもの、出自の違いや貧富の差、党派の違いよりも偉大なものだとみていたのだ。
これが、私たちが今日も続けている旅だ。
私たちは地球上で最も繁栄した、強力な国であり続けている。
私たちの労働者は、この(経済)危機が始まったときと比べ、生産性が落ちたわけではない。
先週、先月、昨年と比べ、私たちの創造性が低くなったのでもなければ、私たちの商品やサービスが必要とされなくなったのではない。
私たちの能力は衰えていない。
ただ、同じところに立ち止まり、狭い利益を守り、不快な決断を先延ばしする時代は明らかに過ぎ去った。
私たちは今日から、自らを奮い立たせ、ほこりを払い落として、アメリカを再生する仕事を、もう一度始めなければならない。
あらゆるところに、なすべき仕事がある。
経済状況は、力強く迅速な行動を求めている。
私たちは行動する。
新たな雇用を創出するだけではなく、成長への新たな基盤を築くためにだ。
商業の糧となり、人々を結びつけるように、道路や橋、配電網やデジタル回線を築く。
科学を本来の姿に再建し、技術の驚異的な力を使って、医療の質を高め、コストを下げる。
そして太陽や風、大地のエネルギーを利用し、車や工場の稼働に用いる。
新しい時代の要請に応えるように学校や大学を変革する。
これらすべては可能だ。そしてこれらすべてを、私たちは実行する。
私たちの志の大きさに疑念を抱く人がいる。
我々のシステムではそんなに多くの大きな計画は無理だ、と言うのだ。
だが、そうした人たちは忘れるのが早い。
これまで我が国が成し遂げてきたこと、そして、共通の目的や勇気の必要性に想像力が及んだとき、自由な人々がどんなことを成し遂げられるかを、忘れているのだ。
皮肉屋たちは、彼らの足元の地面が動いていることを知らない。
つまり、これまで私たちを消耗させてきた陳腐な政争はもはや当てはまらない。
私たちが今日問わなくてはならないことは、政府が大きすぎるか小さすぎるか、ではなく、それが機能するかどうかだ。
まっとうな賃金の仕事や、支払い可能な医療・福祉、尊厳をもった隠退生活を各家庭が見つけられるよう政府が支援するのかどうかだ。
答えがイエスならば、私たちは前に進もう。
答えがノーならば、政策はそこで終わりだ。
私たち公金を扱う者は、賢明に支出し、悪弊を改め、外から見える形で仕事をするという、説明責任を求められる。
それによってようやく、政府と国民との不可欠な信頼関係を再建することができる。
市場が良い力なのか悪い力なのかも、問われていることではない。
富を生みだし、自由を広めるという市場の力は、比類なきものだ。
しかし、今回の(経済)危機は、市場は注意深く見ていないと、制御不能になるおそれがあることを、私たちに思い起こさせた。
また、富者を引き立てるだけでは、国は長く繁栄できない、ということも。
私たちの経済的な成功は、国内総生産(GDP)の規模だけではなく、繁栄がどこまで到達するかに常に依存してきた、
つまり、意欲のある人にどれだけ機会を広げられたかだ。
慈善心からではなく、それが、私たちの共通の利益への最も確実な道筋であるからだ。
国防について、私たちは、安全と理想の二者択一を拒絶する。
米国の建国の父たちは、私たちが想像できないような危険に直面し、法の支配と人権を保障する憲章を起草した。
これは、何世代もが血を流す犠牲を払って発展してきた。この理想はいまも世界を照らしているし、私たちは便宜のために、それを捨て去ることはない。
大国の首都から、私の父が生まれた小さな村まで、今日、(式典を)見ている他国の人々や外国政府のみなさんに知ってほしい。
米国は、将来の平和と尊厳を求めるすべての国家、男性、女性、子供の友人であり、再び主導する役割を果たす用意があることを。
先人たちがファシズムと共産主義を屈服させたのは、ミサイルや戦車によってだけではなく、
頼もしい同盟国と強固な信念によってでもあることを思い起こしてほしい。
彼らは自らの力だけが自分たちを守ったのではないことも、その力が、自分たちが好きなように振る舞う資格を与えたのでもないことを理解していた。
その代わりに先人たちは、自らの力は慎重に使うことで増大し、自らの安全は、大義の正しさ、模範を示す力、謙虚さと自制心から生まれると知っていた。
私たちはその遺産の継承者だ。
いま一度こうした原理に導かれることにより、私たちはより厳しい努力、つまり、より強固な国際的協力と理解を必要とする新たな脅威にも立ち向かうことができる。
私たちは、責任ある形でイラクをその国民の手に委ねる過程を開始し、アフガニスタンの平和構築を始める。
また古くからの友好国とかつての敵対国とともに、核の脅威を減らし、地球温暖化の恐れを巻き戻す不断の努力を行う。
私たちは、私たちの生き方を曲げることはなく、それを守ることに迷いもしない。
自分たちの目的を進めるためにテロを引き起こし、罪のない人々を虐殺しようとする者に対し、私たちは言おう。
いま私たちの精神は一層強固であり、くじけることはない。先に倒れるのは君たちだ。私たちは君たちを打ち負かす。
なぜなら、私たちの多様性という遺産は、強みであり、弱点ではないからだ。
私たちの国はキリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒、ヒンドゥー教徒、そして無宗教者からなる国家だ。
世界のあらゆる所から集められたすべての言語と文化に形作られたのが私たちだ。
私たちは、南北戦争と人種隔離という苦い経験をし、その暗い歴史の一章から、より強く、より結束した形で抜け出した。
それがゆえに、我々は信じる。古い憎悪はいつか過ぎ去ることを。
種族的な境界は間もなく消え去ることを。
世界がより小さくなるにつれて、共通の人間性が姿を現すことを。
そして、アメリカは、新たな平和の時代を導く役割を果たさなければならないことを。
イスラム世界に対して、私たちは、共通の利益と相互の尊敬に基づき、新たな道を模索する。
紛争の種をまき、自分の社会の問題を西洋のせいにする国々の指導者に対しては、
国民は、破壊するものではなく、築き上げるものであなたたちを判断することを知るべきだと言いたい。
腐敗と謀略、反対者の抑圧によって権力にしがみついている者たちは、歴史の誤った側にいることに気づくべきだ。
そして、握りしめたそのこぶしを開くのなら、私たちが手をさしのべることを知るべきだ。
貧しい国の人々に対しては、農場を豊かにし、清潔な水が流れるようにし、飢えた体と心をいやすためにあなた方とともに働くことを約束する。
そして、米国同様に比較的豊かな国には、私たちはもはや国外の苦難に無関心でいることは許されないし、
また影響を考えずに世界の資源を消費することも許されない、と言わなければならない。
世界が変わったのだから、それに伴って私たちも変わらなければならない。
私たちの目の前に伸びる道を考えるとき、つつましい感謝の気持ちとともに、
いまこの瞬間にもはるかな砂漠や山々をパトロールしている勇敢な米軍人たちのことを思い起こす。
アーリントン国立墓地に眠る戦死した英雄たちの、時代を超えたささやきと同じように、彼らには、私たちに語りたいことがあるはずだ。
私たちが彼らに敬意を表するのは、彼らが私たちの自由の守護者だからというだけでなく、
彼らが奉仕の精神の体現者、つまり自分自身より大切なものに意味を見いだそうとしているからだ。
そして今、一つの時代が形作られようとしている今、私たちすべてが抱かなければならないのがこの精神だ。
なぜなら、政府はできること、しなければならないことをするにせよ、この国が依存するのは、究極的には米国人の信頼と決意であるからだ。
最も難しい局面を乗り切るのは、堤防が決壊した時に見知らぬ人を招き入れる親切心であり、
友人が仕事を失うのを傍観するよりは自分の就業時間を削減する労働者の無私の心だ。
煙が充満した階段に突っ込んでいく消防士の勇気、子どもを育てる親の献身の気持ちが、私たちの運命を最終的に決める。
私たちの挑戦は新しいものかもしれない。立ち向かう手段も新しいものかもしれない。
だが、成否を左右する価値観は、勤労と誠実さ、勇気と公正さ、寛容と好奇心、忠誠と愛国心、といったものだ。
これらは古くから変わらない。
そしてこれらは真理だ。
私たちの歴史を通じて、これらは前に進む静かな力となってきた。
必要なのは、こうした真理に立ち返ることだ。
今私たちに求められているのは、新たな責任の時代だ。
それは、一人ひとりの米国人が、私たち自身や我が国、世界に対する責務があると認識することだ。
その責務は嫌々ではなく、むしろ困難な任務にすべてをなげうつことほど心を満たし、
私たち米国人を特徴づけるものはないという確信のもとに、喜んで引き受けるべきものだ。
これが市民であることの代償と約束である。
これが、不確かな行き先をはっきりさせることを神が私たちに求めているという、私たちの自信の源でもある。
これが、私たちの自由と信念の意味だ。
なぜあらゆる人種と信仰の男性と女性、子供がこの広大な広場に集い、共に祝えるのか。
そしてなぜ、60年足らず前だったら地元のレストランで食事さへさせてもらえなかったかもしれない父を持つ男が、
(大統領就任の)神聖な宣誓のためにあなたたちの前に立つことができるのか、ということだ。
さあ、この日を胸に刻もう。
私たちが何者で、どれだけ遠く旅をしてきたかを。
建国の年、最も寒い季節に、いてついた川の岸辺で消えそうなたき火をしながら、愛国者の小さな集団が身を寄せ合っていた。
首都は放棄された。
敵が進軍していた。
雪は血で染まっていた。
独立革命の行く末が最も疑問視されていたとき、建国の父は広く人々に次の言葉が読み聞かされるよう命じた。
「将来の世界に語らせよう。厳寒のなか、希望と美徳だけしか生き残れないとき、共通の危機にさらされて米全土が立ち上がったと」
アメリカよ。
共通の危機に直面したこの苦難の冬の中で、時代を超えたこの言葉を思い出そう。
希望と美徳をもって、いてついた流れに再び立ち向かい、どんな嵐が来ようと耐えよう。
私たちの子供たちのまた子供たちに、私たちは試練のときに、この旅が終わってしまうことを許さなかった、と語られるようにしよう。
私たちは後戻りも、たじろぎもしなかったと語られるようにしよう。
そして、地平線と神の恵みをしっかり見据えて、自由という偉大な贈り物を受け継ぎ、未来の世代にそれを確実に引き継いだ、と語られるようにしよう。
ありがとう。神の祝福がみなさんにありますように。神のご加護がアメリカにありますように。