「葉っぱのフレディ」 実訳版
〜 原著の絵本に忠実に翻訳されたページです、とのこと (^_^;) 〜
2008年9月21日 服部 順治のプロフィール
てっぺん近くの大ぶりの枝に かわいい新芽を のぞかせました。
みんないっしょに 大きくなりました。
春は そよ風にさそわれて みんなでダンスをおどり、
夏は おそろいで のんびり ひなたぼっこにふけり、
夕立がくると、 みんなでいっせいに からだを洗って、
すっきり しゃっきり さわやか気分で 涼みました。
こうたずねたことが あったからなんだ。
「ぼくたちは いったいなにを目標にして 生きていったら
いいんだろうね?」、って。
ささめき合っていました。
もっとも彼らはときどき、 フレディのいる木に穴をあけたり、
自分の名前をほりこんだりする いたずらもしたけれど、
それでもフレディは、 子供たちのすばしっこく走りまわる姿や
大声で笑いころげる 元気なようすをながめていると、
とても楽しかったのでした。
しらせなのだ、
と。
ぼくらのつくる影だって 同じものは ひとつとしてなかっただろう。
だから、みんなそれぞれ 別々の色になったって、
ちっとも 不思議じゃないんだよ」
ダニエルは 淡々と答えました。 そして、
「このすばらしい季節は、 秋というんだよ」、と
フレディに教えました。
ふと思いました。 「きっとこれが 葉っぱの死ぬときなんだろうな」、と。
フレディが見ていると、 なかには けんめいに風にさからってはみたものの
とうとうふき飛ばされてしまう葉っぱもあれば、
はじめから あっさり手をはなして
だまって落ちていく葉っぱも ありました。
そして ぼくらはみんな その
いのち の一部分っていう わけなのさ」
じゃあいったい なんのために この世に生まれてきたんだろう?」
消えていかなくっちゃ ならないんだ。 みんなで いっしょにすごす
しあわせなひとときだって そうなんだ。
木かげや、 お年よりや、 子供たちだって、 そうなんだ。
秋のあのあざやかな色どりだって そうなんだ。
春、夏、秋、冬の季節だって、 そうなんだ。
どれもこれも、 昔からぜんぶ、 ずっとそうだったんだ。
さあ、 これだけいうと もうわかっただろう」
ダニエルは そっとしずかに 枝をはなれていきました。
そして 落ちる間じゅうもずっと、
おだやかにほほ笑んでいるように 見えました。
「それじゃあ またね、フレディ」
ダニエルは そう言いました。
ぜんぜん いたくはなかったのです。
フレディには、 自分のからだが すーっとういて、
それから ゆっくり ふわーっと 下に落ちていくのが
自分でもわかりました。
自分が生まれそだった木の、 そのまるごとの姿を。
なんとつよくて 丈夫そうなのでしょう。
「これならきっと、 うんと長生きしてくれるぞ」
フレディは そう思いました。 そして、
「ぼくはやっぱり この木の一部分だったんだ」
そうわかると、 誇らしく思えてきたのでした。
フレディは 目をとじると、
永遠(とわ)の眠りにつきました。
ところでフレディは、 冬のあとには春がきて、
雪がとけると水になるなんて、 ちっとも知らなかったのでした。
また、 まったくの役立たずのようにみえる 自分のひからびた
からだでも、 やがては土にかえって 水にとけ、
自分が生まれそだったあの木を いっそうじょうぶにさせる
役目をはたすのに、 そんなことも フレディはまったく
知りませんでした。
ましてや、 自分がいた木や 地面の中では、
春になったら 若葉をいっぱい芽ぶかせる準備が
すっかりととのっていて、 冬の間じゅう
じっと静かに出番をまっていたなんて、
フレディには とてもわかりっこなかったのでした。