カルマが必要な理由と人間の本性
「原因」と「結果」の法則(原題「人が想いを抱くとき」 本の内容の記述はここ)では、人が想いを抱くと、いいことでも悪いことでもこの世にそのように顕現してくる、という話ですが、関連して導師の話で面白かったのは、人はなぜ不幸になるのに、そんな悪いことも思ってしまうのか、ってことを説明してくれて、あー、そうか、と合点してしまいました。
というのも結局、人生を生きる目的とは、良いことも悪いことも学び、それを智恵として合点し智のエネルギーとしてまとって魂を磨いていくことにある、と言うのです。(少なくともこの世に生まれる前はそのような決意をもって生まれ出ているはずだ、と言うのです。なお私が想像するのに、その智恵を魂全体で共有していくことで魂全体が進化して、その智恵のエネルギー全体の量も増えていくのでは、などと進化の目的を考えています)
ですから悪いことも想って、その結果、どういうことになるか合点しないと、その人の魂に智恵として焼きついていかないのです。
ですから悪い想いをいだき、それが原因となって、悪い結果を招き、そのようにしてしまったことを論理的に理性で後悔したり、反省することにより、そのような行為を続けることをやめ、もう2度とやるまいと理性で決意することにより、それが戒めになり、智恵としてもその魂に焼きつき、またそのような悪い想いを抱きそうになっても、途中で止めたり、そのような想いも抱かなくなる、とのこと。(これは良い想いに関しても同じ原理が働きます)
このように理で治めることにより、智恵がついてくる、すなわち、魂を磨いて、生まれたときよりも、さらにいろんなことを学んで魂としても成長していく、これが人生の目的なのだそうです。
そして人間の行動原理でその源となる人間の本性(小我)とは、この字の通り、性(SEXのこと:好きな人と結びつきエクスタシーを得たい、という欲望)とのこと。私自身、幼い心のときから、よーく考えれば、異性を常に意識し、いろんな努力を始めるときも好きな女の子と会える、というのが一番の原動力となっていたような気がしますから(^_^;)。
ただ人間も成長してくると、その子孫を産むためだけの性のエクスタシーに飽きてきて、もっと知的な人や神的な人との交流(その段階では大我である自然の摂理との交流や調和や理解)による知的なエクスタシーを得ることを欲望するようになっていく、とのこと。(私なぞの低級霊ではまだまだ動物的な性にこだわっていますが(^_^;))
ここで面白いのは猿などの動物のSEXと人間のSEXの違いは正常位を人間は行うことであり、お互いにエクスタシーを長く得るためにそのような体位を進化の過程で学び、それが永続的な快楽の獲得にもつながっているのです。その根源は体のエクスタシーを求めるものですが、これからの人間の進化の過程においてはより大きな智恵を得ることに体がエクスタシーを感じるようになっていくのでしょうか。(^_^;)
実際、導師はマスターベーションのとき、悪い想念を思い浮かべて行っていたそうですが、そのばからしさを論理的に理解し反省し止めることを決定したとき、あくる日、今まで味わったことのない電気のような大きなエクスタシーがおなかのチャクラから脊髄を通って頭まで全身を貫いたそうです。(うー、低級霊の私も感じてみたい (^_^;))
それ以来、人生観が180度変わり、生き方も変わってしまったそうです。(逆に、世間の人とつきあうのがしんどいらしいが.... (^_^;))
またその境地まで達すると、小我を離れて、大我に近づくことに快感を見出すようになり、いろんな苦難や戒めを敢えて求め、それをクリアして学び成長していくことに喜びを見出すようになる、とのこと。(私のような低級霊から見ると、何か自虐的な生き方をして喜んでいる、変わった人としか見えないのですが.... (^_^;))